つかいすてカメラ
フィクションの中の ノンフィクション。
2007'06.16.Sat
「バンプが好き」「エルレもすき」というと「ラッドすきでしょ」といわれる。
そういう人はたいがいがラッドをすきなひとなんだけど、
なんで?
「あ、うーん」とあいまいな返事を返すしかできんが。
ヤンキー。のことを思い出した。
田んぼに今日 水が入っていたからかもしれない。
そういう人はたいがいがラッドをすきなひとなんだけど、
なんで?
「あ、うーん」とあいまいな返事を返すしかできんが。
ヤンキー。のことを思い出した。
田んぼに今日 水が入っていたからかもしれない。
あたしはひとつ上のヤンキーにどういうわけかかわいがってもらっていた。
断っておくけどあたしはヤンキーではなかった。と思う。
むしろ「優等生」だった…と 思う。たぶん。
別に成績がよかったわけじゃなかったけどまじめだった。
たぶん、あたしの幼馴染が「ヤンキー」の仲間入りを果たしたからだ。
ヤンキーは群れであたしをかわいがってくれた。
部活をしていてもがんばれってゆってくれたし、
あたしに気さくに話しかけてきてくれて
センセイが血相を変えて飛んできたこともある。
「何かされたのか!」…いいえ。
というわけで、あたしは今でもヤンキー然とした男の子はあまりこわくない。
怖いのは、男は何食わぬ顔をしたちょっとイケメンの部類で
女はそれを取り巻く普通の女の子たちだ、と信じている。
ちょっと人気者。それが一番怖いと思っている。
ヤンキーには、衝撃を受けたことがある。
ヤンキーで大人が手をやいていた男の子が年賀状をくれた。
うさぎ年だったな。
ピンクの蛍光ペンでその年の西暦が書いてあった。
どうしてうちの住所が分かったんだろう、とか
話もしたこと無いのに何でくれたんだろう、とか
いろいろと疑問はあったけれども
金色に近い茶髪でワックスべったりの頭をした彼と
うさぎの年賀状、というのがあまりにミスマッチで驚いた。
それから一度も話をすることなく、彼はいつのまにか姿を消した。
風の噂によると、少年鑑別所に入ったとかなんとか。
真偽のほどは定かではない。
そのときの年賀状はもう手元にたぶん無い。
捨てた記憶もないけど保管しておこうと思った記憶も無い。
何かを大事に保管するのはあたしの苦手とするところだ。
ヤンキーって自分が仲間だと思ったものに関しては本当に大切にするな、と思った。
最近のヤンキーはそうでもないらしい。
かかわりないからよく分からないけど。
もう十年近く前の話になるのか、と思うとわりとびっくりする。
最近の中学生なんてだいぶかわっていて当たり前だと思う。
それがひとつ上の学年がいたころの話だ。
中学三年生にもなると、ヤンキーは疎ましがられるんだな、と知った中学二年生。
あたしは何やか思いっきりいじめられてたけど、
ヤンキーはたぶんヒーローにはなり得ないだろうとあきらめていたから
保健室でサボってたときも何も言わなかった。
中学生のヒエラルキーは、おそろしい。
そしていきなり大革命が起こることも、ある。
彼らがいなくなって、あたしは中学三年生になった。
ヒエラルキー構造は多少変化したものの、クラス替えで独りになったいじめっこの女の子が
泣き喚いていたのを見て、ばかじゃない、と冷めた気持ちになったことが
中学三年生の一番の思い出であり、記憶だ。
学校なんてだいっきらいだった。
行かなくていいなら行きたくなかった。
けど、あんな人たちのために授業出られなくて
自分の高校ライフを無駄にするのもばからしくて
授業には出ていたあたりあたしもまじめだと思う。
中学三年生は塾の友達と話してたほうが楽しかった。
この子たちと同じ高校に行くんだって思ってたからがんばれたのかな。
その目標は達成できたし。
高校はすごく楽しかったし充実してたから
今になればあたしはラッキーだったと思う。
だけど中学三年間を通して一番の衝撃は
あのウサギ年の年賀状だった、と 今でも思う。
何がよくて なにが問題でなんて 外から見るには限りがある。
あたしがいじめられてたなんて知ってるのは どの大人だったんだろう。
たぶん、担任でもなかったあたしの好きな先生と
スクールカウンセラーだけだった。
「お前はいつになったら楽が出来るんだろうなぁ」
そう卒業式に言った小学校の担任を思い出す。
先生、あたし、今はすごく、らくです。
先生はまた苦労してるって笑うかもしれないけど楽しいです。
…って。
水が入った田んぼを見てたら思い出したのは
中学校のときに自転車ごとここに突っ込んだからだ、って思い出して
にがわらいで 岐路に着く。
思い出なんて無いと思ってたけど意外と覚えてるもんだ。
思い出に心を使う余裕なんて あたしに今あるのかな、と思う。
今のあたしは もっと使わなくちゃだめなことがあるのに。
六月もあっという間に過ぎてしまいそうだ。
断っておくけどあたしはヤンキーではなかった。と思う。
むしろ「優等生」だった…と 思う。たぶん。
別に成績がよかったわけじゃなかったけどまじめだった。
たぶん、あたしの幼馴染が「ヤンキー」の仲間入りを果たしたからだ。
ヤンキーは群れであたしをかわいがってくれた。
部活をしていてもがんばれってゆってくれたし、
あたしに気さくに話しかけてきてくれて
センセイが血相を変えて飛んできたこともある。
「何かされたのか!」…いいえ。
というわけで、あたしは今でもヤンキー然とした男の子はあまりこわくない。
怖いのは、男は何食わぬ顔をしたちょっとイケメンの部類で
女はそれを取り巻く普通の女の子たちだ、と信じている。
ちょっと人気者。それが一番怖いと思っている。
ヤンキーには、衝撃を受けたことがある。
ヤンキーで大人が手をやいていた男の子が年賀状をくれた。
うさぎ年だったな。
ピンクの蛍光ペンでその年の西暦が書いてあった。
どうしてうちの住所が分かったんだろう、とか
話もしたこと無いのに何でくれたんだろう、とか
いろいろと疑問はあったけれども
金色に近い茶髪でワックスべったりの頭をした彼と
うさぎの年賀状、というのがあまりにミスマッチで驚いた。
それから一度も話をすることなく、彼はいつのまにか姿を消した。
風の噂によると、少年鑑別所に入ったとかなんとか。
真偽のほどは定かではない。
そのときの年賀状はもう手元にたぶん無い。
捨てた記憶もないけど保管しておこうと思った記憶も無い。
何かを大事に保管するのはあたしの苦手とするところだ。
ヤンキーって自分が仲間だと思ったものに関しては本当に大切にするな、と思った。
最近のヤンキーはそうでもないらしい。
かかわりないからよく分からないけど。
もう十年近く前の話になるのか、と思うとわりとびっくりする。
最近の中学生なんてだいぶかわっていて当たり前だと思う。
それがひとつ上の学年がいたころの話だ。
中学三年生にもなると、ヤンキーは疎ましがられるんだな、と知った中学二年生。
あたしは何やか思いっきりいじめられてたけど、
ヤンキーはたぶんヒーローにはなり得ないだろうとあきらめていたから
保健室でサボってたときも何も言わなかった。
中学生のヒエラルキーは、おそろしい。
そしていきなり大革命が起こることも、ある。
彼らがいなくなって、あたしは中学三年生になった。
ヒエラルキー構造は多少変化したものの、クラス替えで独りになったいじめっこの女の子が
泣き喚いていたのを見て、ばかじゃない、と冷めた気持ちになったことが
中学三年生の一番の思い出であり、記憶だ。
学校なんてだいっきらいだった。
行かなくていいなら行きたくなかった。
けど、あんな人たちのために授業出られなくて
自分の高校ライフを無駄にするのもばからしくて
授業には出ていたあたりあたしもまじめだと思う。
中学三年生は塾の友達と話してたほうが楽しかった。
この子たちと同じ高校に行くんだって思ってたからがんばれたのかな。
その目標は達成できたし。
高校はすごく楽しかったし充実してたから
今になればあたしはラッキーだったと思う。
だけど中学三年間を通して一番の衝撃は
あのウサギ年の年賀状だった、と 今でも思う。
何がよくて なにが問題でなんて 外から見るには限りがある。
あたしがいじめられてたなんて知ってるのは どの大人だったんだろう。
たぶん、担任でもなかったあたしの好きな先生と
スクールカウンセラーだけだった。
「お前はいつになったら楽が出来るんだろうなぁ」
そう卒業式に言った小学校の担任を思い出す。
先生、あたし、今はすごく、らくです。
先生はまた苦労してるって笑うかもしれないけど楽しいです。
…って。
水が入った田んぼを見てたら思い出したのは
中学校のときに自転車ごとここに突っ込んだからだ、って思い出して
にがわらいで 岐路に着く。
思い出なんて無いと思ってたけど意外と覚えてるもんだ。
思い出に心を使う余裕なんて あたしに今あるのかな、と思う。
今のあたしは もっと使わなくちゃだめなことがあるのに。
六月もあっという間に過ぎてしまいそうだ。
PR
Post your Comment
カレンダー
アーカイブ
最新記事
(09/29)
(08/01)
(07/21)
(07/13)
(04/18)
(04/17)
(04/03)
最新TB
ブログ内検索
フリーエリア
アクセス解析