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つかいすてカメラ

フィクションの中の ノンフィクション。

2025'07.21.Mon
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2007'08.28.Tue
電波に乗せてこの日とどいた言葉は
あたしの一生を大きく左右するだけの影響力は
あったと思う。

もともとばかみたいにバンプがすきだったあたしを
もっともっと好きにさせたのはこの日で
この日 ふじわらさんがラジオで放った言葉は
中学生のときの先生がゆってくれた言葉と
小学校のときに先生がくれた手紙と
同じくらい大事な言葉になった。


言葉は やっぱり声で届けられるのが一番だと思う。
あのときのふじわらさんのことばをここで書き連ねたところで
たぶん伝わるのはほんとに表面的なものだけで
あの声色・あの空気じゃないと伝わらないものが
たぶんたくさんあると思うんだ。


心の鍵。
がっちがちにかけていたあたし。
ちょうどそのころは大学二年の冬だったな。
誰も信じられない。もうこわい。
たぶんそれがピークだったころじゃなかったろーか。
今から思えばかわいいもんだけど、そのころのあたしは一生懸命だった。


だけどそれがだめなんだと思ってた。
心はほどいていなくちゃいけないんだと思ってた。


「かけとけよもう、がっちがちに」

その言葉に すごくはっとして
もう ラジオから耳がはなせなくなった。


たぶんあの放送はラジオ放送としては放送事故レベルで
沈黙が多かったんじゃないかなと思う。
だけどきっとラジオの前の全国のリスナーは、
息を呑んでふじわらさんの言葉を聞き漏らさないようにしてたはずだ。
あたしはそうだった。



「がんばったねぇ、怖かったのにね」


という ことばに
もう なんか、ね。
ふじわらさんはあたしのことなんか知らないし
個人的な付き合いがあるわけももちろんなくて
そんなひとのこの言葉でこんなにぼろぼろ泣けるとは思わなかったよ。

一生懸命選んで 心の底からゆってくれた言葉って
別に特定に自分に向けられてなくたってすごい力があるんだ。
というふうに思いました。


こうして文章にしてしまえばなんかもうちゃっちい。
あのときの「がんばったね」と。
「一緒にがんばろう」は。
大嫌いな言葉、と前置きしての言葉だったけど


誠実に言葉を選ぶ人間になろう、と思ったと同時に
あたしはこのまんまでも別にいーんだ、と思って。
だけどいつか鍵があくといいな、と思って。
鍵を探したいな、と思って。


ばんぷがこういう気持ちでずっと音楽をやっていくんだろう、
好きな音楽を奏でるひとたちがこんなひとでよかった、と
本当におもったものでした。


ふじわらさんがしゃべった内容については
たぶんどっかしら検索したら出てくると思う。



何で急に思い出したかというと
当時の音源が引っ張り出されてきたからなんだけどね。


今日聞いて、また泣きました。
ちょっとつかれていたみたいです。



やわらかくてやさしくて誠実なあの人の声は
たぶん一生だいすきだと思いました。


そんだけ。
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