つかいすてカメラ
フィクションの中の ノンフィクション。
2007'11.13.Tue
夢の飼い主、という歌がある。
大切な夢を大事にしすぎてしまったり
いつからか粗雑に暑かったり、
それでも夢のほうから飼い主である自分を見限ることはない。
離れていくのは夢じゃなくていつだって自分だ。
「夢を飼い殺す人が多いと思うんですよ」
この曲を作ったとき、作詞作曲ボーカルはこう言っていたらしい。
かいごろす。
衝撃的な言葉だった。
つい先日ハチミツとクローバーを読んだときにも
同じことを思った。
そしてさらに最近、友達に言われた。
「それはやっぱり飼い殺されてたんだとおもうよ
意識するにしろしないにしろ
とらわれていたのは事実でしょう。」
大切な夢を大事にしすぎてしまったり
いつからか粗雑に暑かったり、
それでも夢のほうから飼い主である自分を見限ることはない。
離れていくのは夢じゃなくていつだって自分だ。
「夢を飼い殺す人が多いと思うんですよ」
この曲を作ったとき、作詞作曲ボーカルはこう言っていたらしい。
かいごろす。
衝撃的な言葉だった。
つい先日ハチミツとクローバーを読んだときにも
同じことを思った。
そしてさらに最近、友達に言われた。
「それはやっぱり飼い殺されてたんだとおもうよ
意識するにしろしないにしろ
とらわれていたのは事実でしょう。」
…たしかに。
あたしの飼い主様たちはそれはもう素敵な人で
都合の良いときめちゃくちゃに可愛がってくれる。
それはもう可愛がりすぎだろう、というくらいに。
とても心地よいものだった。
だけど、飼うもの飼われるものの関係で
人と人は一緒にいられない。
だから遅かれ早かれ離れなくちゃならなかった。
人と人に戻るために。
こころが見えないほど、そしてそれで不自由も違和感もないほど
近づき過ぎていた。
というより、見えないことが自然になっていたんだと思う。
あたしは途中で気がついたけど
きっと 離れていった今でも
飼い主様たちは気がついていないだろう、とあたしは思っている。
というより 離れたことにさえ気がついていないかもしれない。
そばにいれば可愛がりたくなる
目の前に可愛い子犬がいれば撫でたくなるけど
いなかったらいないで別になんとも思わない。
「飼い殺す人が多いと思うんですよ」
あたしは飼い主様たちの夢でも愛でもなんでもなかったし
特別になれないことくらいは知っていた。
無意識に飼い殺されることを望んで
(かいごろす、という言葉は知らなかったにしろ)
飼い主様たちも同様に
無意識に飼い殺すことを望んだ。
その結果なんだといまさらながら思う。
さみしくはないよ きみといられるから
ただ名前をよんでくれるだけで いいんだよ
飼い殺された夢はそう歌った。
あたしもそうだと思っていた。
だけどあたしは夢じゃない。
いつからか忘れていた関係性を
ちゃんと取り戻せ、と 怒られた。
「うん、努力するよ」と あいまいに笑うしかなかった。
あたし一人の先でさえ 見えなかったからだ。
何とかなるよな、ていうかなるようにしかならないよな、
って心のどこかで思っているからあたしは今生きてるけど
どうにもならないと 本気で思う日が来るのかな?
ほどかれた鎖を手にとって見れば
やけに軽くて長い鎖。
首にくくられていたのを気付かないような。
縛っていたのはあたし自身。
飼い殺されるのはもう いいや。
心地よいし それ以上傷つくことはないけど
永遠に揃わないピースを追っかけるのは
もう 終わりにしたんだ。
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